伝統は、変わらず守るだけではない──京都で150年続く老舗「馬場染工業」は、着物の黒染め技術を、洋服の染め直しに応用することでその哲学を証明しています。“黒より黒い黒”を受け継ぐ5代目を取材しました。 The post 父が捨てかけた染料で、未来を染め直す。京都・馬場染工業の「黒より黒い黒」が導く伝統のかたち【京都CE特集】 first appeared on IDEAS FOR GOOD.| IDEAS FOR GOOD
気候危機という大きな課題に対し、アートや文化はどんな役割を果たせるのか。英国の慈善団体・Culture for Climate Scotland は、「Climate into Arts」と「Arts into Climate」という双方向のアプローチで、気候変動と文化の領域をつなぎ、新たな社会変革の可能性を切り拓いています。 The post 文化とアートの力で気候危機に立ち向かう。Culture for Climate Scotlandに学ぶ、創造的な社会変...| IDEAS FOR GOOD
日本の歴史時代は古墳時代から始まります。歴史時代とは、先史時代と対になる見方で、文字の利用の有無から時代を分ける考え方です。私たちも文字のお陰で他者との意思疎通や身の回りの記録など、便利な生活を送ることができています。さらに、昔の人の生活や考え方、事件などを知ることができている点でも、文字は非常に役立っています。 さて、先ほど日本...| 鹿行ナビ
紡錘車とは、コマのような形をした糸を紡ぐ道具で、日本では弥生時代〜室町時代に使われたとされますが、遺跡から出土する例はほとんど奈良・平安時代のものです。鹿嶋市内の奈良・平安時代の集落遺跡からは、なんと91個も出土してお […]| 鹿行ナビ
「平安時代の鹿島」第9回は銅印、銅製のハンコを取り上げます。 皆さんの中には、お仕事でハンコを使う方も多いでしょう。様々な領域でデジタル化が急速に進む昨今でも重要な役割を果たし続けるハンコ。その歴史は古く、日本で発見されたもので最古とされる「漢委奴国王」の金印は国宝にも指定されています。『後漢書』東夷伝を根拠にすれば、これが後漢の光...| 鹿行ナビ
平安時代の鹿島、8回目は須恵器です。須恵器は古墳時代の5世紀に朝鮮半島から伝わった技術で、土器を窯で焼きます。焼成温度は1000℃以上、還元炎焼成で土器は灰色に硬く焼き上がります。はじめは、大阪南部の陶邑で作られ、やがて九州から東北まで普及します。 斜面につくられた窯のイメージ 鹿嶋では、近畿地方でつくられた須恵器が6世紀代から使われ始めま...| 鹿行ナビ
平安時代の鹿島、7回目は銅鈴です。 この鈴は名前の通り銅を加工して作られています。市内では現在2点の銅鈴が確認されています。鈴など音を鳴らすための道具の歴史はとても古く、縄文時代には土鈴が確認されています。今回紹介する […]| 鹿行ナビ
「平安時代の鹿島」6回目は、製鉄遺跡について取り上げます。 現在の鹿嶋市は大きな製鉄所があることでも有名ですが、古代の鹿島でも製鉄は行われていました。 『常陸国風土記』という、常陸国の風土や歴史などが描かれた文献にも、その姿が描かれています。その部分を引用します。 慶雲元年、国司婇女朝臣、鍛佐備大麻呂等を率て、若松浜の鉄を採りて、剣...| 鹿行ナビ
この写真、現代のコンクリートブロックではありません。鹿嶋市内の遺跡から見つかった出土品です。 これは塼 (せん)とよばれる焼成したレンガともいうべきものです。塼という漢字を書き、古代から現代まで土木建築の材料として多 […]| 鹿行ナビ
「平安時代の鹿島」第4回目は灰釉・緑釉陶器です。 灰釉(かいゆう)・緑釉(りょくゆう)陶器は奈良時代・平安時代の集落遺跡や土坑(墓坑)から若干の出土が見られます。白っぽい素地に釉薬(ゆうやく)を施し焼き上げた非常に美 […]| 鹿行ナビ
こんにちは。開発副本部長の okady です。 サイボウズ開発本部では2019年に組織変更を実施し、当時のインタビュー記事で私はこんなことを言っていました。 「マネージャー、いないと無理なら、またつくればいい」 サイボウズの開発本部がマネジャーをなくしてみた「いないと無理なら、またつくればいい」 | サイボウズ式 そして今回の記事は、当時の私自身の言葉...| Cybozu Inside Out | サイボウズエンジニアのブログ
こんにちは、最近愛媛から広島に移住した組織運営チームの水戸です。 2019年からサイボウズの開発本部から職能・地域毎に分かれた部署がなくなり、チーム主体の組織になりました。 組織変更をオープンに議論するというチャレンジングな試みの中で、新組織の理想はユーザー価値の最大化に定まり、個人やチームがより主体的に動ける組織構造に変わりました。 こ...| Cybozu Inside Out | サイボウズエンジニアのブログ
「平安時代の鹿島」3回目は小金銅仏です。 金銅仏とは、銅で鋳造して鍍金(金メッキ)を施した仏像のこと。小型のものが小金銅仏です。まずは写真をご覧ください。 上図は出土当時のもの、下図はクリーニング・保存処理を施したあとのものです。金メッキがわずかながらも残っていることがわかります。高さが10.78cm、重さが196.6gと小柄な地蔵菩薩立像です。 仏...| 鹿行ナビ
「平安時代の鹿島」第2回目は火葬墓です。 大きく目立つ古墳を造っていた古墳時代と異なり、奈良・平安時代の日本では薄葬の習慣(贅沢なお墓造りをやめて、質素なお墓を造る)が一般化します。考古学調査の中では土壙墓と言って、地 […]| 鹿行ナビ